欲求と目的

私の周りではよく教育として、「遊びたい、くつろぎたい、などの"欲求"を我慢して、自分の"目的"のために行動しなさい。」みたいなことをよく耳にします。

 

しかし

その教育方針は、欲求に背くことをすることになり、

努力は夢中に勝てないという言葉があるように、何かを我慢して行動してもそれは努力になってしまい、努力に勝る夢中になれません。

 

ですが

一時的な欲求を我慢し、いざ行動してみると、すっかりタスクに夢中になってしまっていたなんて経験があなたにもあるのではないでしょうか。

とりあえず行動に起こすということは、脳内にドーパミンが放出されて、気づけば時間も忘れるくらいにタスクに夢中になれるという、根拠付きで正しい行動なのです。

ワクワクする時間もすっ飛ばせて、実は夢中になるためには一番の近道は、

「とりあえずやる」なのかもしれません。

 

なので

何か叶えたい夢があるだとか、今やりたいプロジェクトがあるなら、

直近の欲求と目的が同じならいいですが、そこに食い違いがある場合に限っては、

目的を優先してとりあえずやってみることをお勧めします。

 

でもこの話はよく、

仕事や勉強=業

においてよく理解されていて、実行している人も多いのではないでしょうか。

しかし、

コミュニケーション=人

に対してとなるとなぜか、急にさっきの話が適応されなくなることが多いです。

つまり、目的より欲求を優先してしまうということです。

 

例えば業で言うと、

勉強中に魔が差しYouTube見ていると、気が付けば二時間もたっていた

なんてことありませんか?

そしてこの時あなたはこう思うはずです

「目的があるのに欲求に負けてしまった、悔しい」と。

 

しかし

厄介なのは、人に対して目的から反れた欲求を優先してしまう人がいます。

そんな人の代表的な行動が「マウンティング」です。

口を開けば自慢や、対抗心むき出しで話をしてくる人は、皆さんの周りにもいませんか?

もしいればその人を想像し、会話を思い出してみてください。

幸い、いなければ誰か頭の中で作ってみてください。

 

その会話は、有意義な時間になっていたでしょうか?

マウンティングは、楽しい、役に立った、という有意義な時間を作らせない、数少ないコミュニケーションです。

 

そこで先ほどの話に戻るとります。

うんこ!!!!!!

 

 

マウントを取るという行動は、欲求と目的の観点から見るとどう映るでしょう。

 

あなたが、会社や学校の仲間との会食に来ているとします。

そこでは様々な会話が繰り広げれますが、

そこでのあなたを含む全員の"目的"はいったい何でしょう。

それの答えはシンプルで、「楽しむこと」の一択です。

そのためには、周りも楽しめないといけません。

なぜなら、仲間が会食に来たことを公開するようなことがあれば、それはネガティブな結末となり、楽しめたとは言えませんから。

しかし、僕たち人間には承認欲求というものがあります。

それは自分が凄いということを認めてもらいたいという欲求で、人と比べることによって、自分の凄みを表現しようとする心理が働きます。

それが結果、マウンティングにつながります。

 

つまり

マウンティングは、

今日の会食を楽しい会にするという"目的"を無視し、自分は凄いと認めてほしいという"欲求"に手を染めてしまった者の、怠惰な罪というわけです。

 

なので、もしマウンティングに遭遇しても、むきにならず

目的を果たすために努めましょう。

すると、必然的にあなたの周りには味方が増え、

きっと、マウントをマウントで返すよりも幸せな結末が待っているでしょう。

 

 

仕事や勉強だけではなく、

いつなんどきでも目的をとらえることが大切みたいですね。