■
準備思考
大学生のほとんどの人が、就職活動をします。
みんな、スケジュールをぎっしり詰めて、
主張のない皆慣れで面接を受けに行くわけです。
そんな中、就活生に多く見られるのが、「あの時こうしていればよかった」というお決まりの鳴き声です。
これは就職活動だけでなく、
受験の時、
テストの前、
その人の人生で何回も頭を駆け巡った言葉でしょう。
よく、日本の大学生は遊びすぎだとか言われています。
では、遊びすぎた大学生は就職活動を迎えたとき、過去の自分に会えるならなんと言って聞かせるでしょうか。
遊ぶ時間があるなら、TOEICや資格の勉強、プログラミングなんかをやりなさいなんてことを言うのでしょうか。
このようなビジネスで生きる経験は、
大学生のうちにやっておくのも悪くないでしょう。
しかし、ビジネスに興味を持って勉強をしても、就職難に陥る学生は大勢います。
それが俗に言う「意識高い系」という種族です。
そんな学生の習性は、スターバックスで、あまり得意ではないコーヒーを飲み、アップル製品を他の客に見えるように設置し、ネットフリックスを見て、ひとり暮らしをしており、snsのアイコンは夕日をバックにガッツポーズ
といった感じです。
遊ぶ時間をなくしてまで、ビジネスのに関するありとあらゆることをやってきたこの
「意識高い系」の人たちですが、
なぜ、遊び優先だった他の学生と同じラインに立ってしまうのでしょうか。
それは、あくまで準備でしかなかったということです。
「意識高い系」の人たちの大好物に、”スキル”という言葉がります。
しかし、”スキル”というのは言い換えると、
社会に出れば、いつか使うかもしれない能力のことです。
つまり、
すべての行動は、社会で必要かもしれないので、幅広く行動を肯定できてしまうのです。
ネットフリックスで見た映画の話題で商談が盛り上がりを見せるかもしれないし、アップル製品を扱うことが一つのスキルになるかもしれない。
そうやって、すべての行動を肯定化した先にあるのが、
意識が高いだけの普通の人です。
結局
準備となると取り掛かるべきタスクが抽象的になるり、
質はもちろんのこと、モチベーションまでもが低下するのです。
結局、大学生活で一番損をしたのは誰かというと
常に未来を見つめ続けた
「意識高い系」です。
では、本当に意識の高い人
「意識高い系」ではなく、「意識高い」ひとにはどんな違いがあるのでしょうか。
それは追いかけるものの差です。
「意識高い系」は”スキル”を追いかけます
一方
「意識高い」人は”実績”追いかけます。
つまり、
損する人は、まだ見ぬ成功のために準備に集中し、
得する人は、プロジェクトを成功させることに集中しています。
例えば、「ITサービスを作って世界を変える」や、「プログラムが好きだからベンチャー企業でエンジニアする」といった感じです。
ここで、損する人得する人の法則性が見えてきましたよね。
それは、今が本番 ということです。
今を下積みとしてとらえることはありません。
なのであなたも、今できる最大限の挑戦をしてみてはいかがでしょうか。
きっと、毎日が充実することでしょう。
■
欲求と目的
私の周りではよく教育として、「遊びたい、くつろぎたい、などの"欲求"を我慢して、自分の"目的"のために行動しなさい。」みたいなことをよく耳にします。
しかし
その教育方針は、欲求に背くことをすることになり、
努力は夢中に勝てないという言葉があるように、何かを我慢して行動してもそれは努力になってしまい、努力に勝る夢中になれません。
ですが
一時的な欲求を我慢し、いざ行動してみると、すっかりタスクに夢中になってしまっていたなんて経験があなたにもあるのではないでしょうか。
とりあえず行動に起こすということは、脳内にドーパミンが放出されて、気づけば時間も忘れるくらいにタスクに夢中になれるという、根拠付きで正しい行動なのです。
ワクワクする時間もすっ飛ばせて、実は夢中になるためには一番の近道は、
「とりあえずやる」なのかもしれません。
なので
何か叶えたい夢があるだとか、今やりたいプロジェクトがあるなら、
直近の欲求と目的が同じならいいですが、そこに食い違いがある場合に限っては、
目的を優先してとりあえずやってみることをお勧めします。
でもこの話はよく、
仕事や勉強=業
においてよく理解されていて、実行している人も多いのではないでしょうか。
しかし、
コミュニケーション=人
に対してとなるとなぜか、急にさっきの話が適応されなくなることが多いです。
つまり、目的より欲求を優先してしまうということです。
例えば業で言うと、
勉強中に魔が差しYouTube見ていると、気が付けば二時間もたっていた
なんてことありませんか?
そしてこの時あなたはこう思うはずです
「目的があるのに欲求に負けてしまった、悔しい」と。
しかし
厄介なのは、人に対して目的から反れた欲求を優先してしまう人がいます。
そんな人の代表的な行動が「マウンティング」です。
口を開けば自慢や、対抗心むき出しで話をしてくる人は、皆さんの周りにもいませんか?
もしいればその人を想像し、会話を思い出してみてください。
幸い、いなければ誰か頭の中で作ってみてください。
その会話は、有意義な時間になっていたでしょうか?
マウンティングは、楽しい、役に立った、という有意義な時間を作らせない、数少ないコミュニケーションです。
そこで先ほどの話に戻るとります。
うんこ!!!!!!
マウントを取るという行動は、欲求と目的の観点から見るとどう映るでしょう。
あなたが、会社や学校の仲間との会食に来ているとします。
そこでは様々な会話が繰り広げれますが、
そこでのあなたを含む全員の"目的"はいったい何でしょう。
それの答えはシンプルで、「楽しむこと」の一択です。
そのためには、周りも楽しめないといけません。
なぜなら、仲間が会食に来たことを公開するようなことがあれば、それはネガティブな結末となり、楽しめたとは言えませんから。
しかし、僕たち人間には承認欲求というものがあります。
それは自分が凄いということを認めてもらいたいという欲求で、人と比べることによって、自分の凄みを表現しようとする心理が働きます。
それが結果、マウンティングにつながります。
つまり
マウンティングは、
今日の会食を楽しい会にするという"目的"を無視し、自分は凄いと認めてほしいという"欲求"に手を染めてしまった者の、怠惰な罪というわけです。
なので、もしマウンティングに遭遇しても、むきにならず
目的を果たすために努めましょう。
すると、必然的にあなたの周りには味方が増え、
きっと、マウントをマウントで返すよりも幸せな結末が待っているでしょう。
仕事や勉強だけではなく、
いつなんどきでも目的をとらえることが大切みたいですね。